インド哲学研究会 / Association for the Study of Indian Philosophy

近代日本因明研究百年史

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近現代日本因明研究史(pt. 2) 桂紹隆

明治維新以降、南条文雄・笠原研寿を始めとする欧州諸国への留学生によって、仏教原典の文献学的研究を中心とする「近代仏教学」が導入されると、日本における因明(仏教認識論・論理学)研究にも大きな影響を与えた。その研究史は、研究対象の違いにより、次の四つの分野に分けて整理することができる。なお、以下言及する学術書・論文の詳細な書誌情報については、塚本啓祥・松永有慶・磯田煕文編著『梵語仏典の研究 III 論書篇』(平楽寺書店、1990)所収の中井本秀執筆「第4章 認識論・論理学」(pp. 393-485)、インド学仏教学論文データベース(http://www.inbuds.net)、J-STAGE (https://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja/)、CiNii (http://ci.nii.ac.jp)、その他多くのサイトで入手可能であるから、ここでは必要最小限の情報のみ与える。なおこの「研究史」の前提となる業績として師茂樹「明治期における因明研究」がある。合わせてご参照いただきたい。

  1. 1. 漢訳で伝わった因明論書の近代的研究
  2. 2. 因明論書の梵語原典・蔵訳を用いた研究
  3. 3. 西蔵因明学の研究
  4. 4. 中国・日本で展開した因明学の研究
  5. 5. 因明の比較論理学的研究
  1. 1. 漢訳で伝わった因明論書の近代的研究

漢訳大蔵経の中に残存するインド出自の因明書は、龍樹に帰せられる『方便心論』、世親に帰せられる『如實論』、陳那の『因明正理門論』と、商羯羅主の『因明入正理論』の四作品のみである。それ以外には、『解深密経』の第八品「如来成所作事品」の「証成道理」の部分(吉水千鶴子の分析「The Logic of the Sandhinirmocanasūtra: Establishing Right Reasoning Based on Similarity (sārūpya) and Dissimilarity (vairūpya)」Brendan Gillon et al. ed. Logic in Earliest Classical India, 2010がある)、『喩伽師地論』の「本地分 聞所成地第十」の「因明処」、『阿毘達磨集論』の「決擇分中論議品」『阿毘達磨雑集論』の「決擇分中論品」等に公開討論の様々な規定が纏められているのが注目されるくらいである。漢字文化圏における因明学は『因明正理門論』と『因明入正理論』だけを対象に展開したと言っても過言ではない。上記の諸論書の内容分析を含む、インドにおける仏教認識論・論理学の形成過程については、梶山雄一(1925-2004)「仏教知識論の形成」(『講座大乗仏教 第9巻 認識論と論理学』春秋社、1984)が、参照されるべきである。

  1. 1.1. 『方便心論』

東京帝国大学印度哲学科を卒業後、独英に留学し、近代仏教学の方法論を用いて、因明研究を積極的に押し進めたのは、宇井伯寿(1882-1963)である。彼が東北帝国大学在職中に書き続けた『印度哲学研究』全六巻(甲子社、1924-1930;再版:岩波書店、1944-1965年)の第二巻(1925)には、『方便心論』の漢文校訂テキスト、書き下しと、『チャラカ・サンヒタ−』や『正理経』など仏教以外の印度の論書を利用した解説からなる「方便心論の注釈的研究」が収められている。本書は、宋版大蔵経以来龍樹の著作とされて来たが、宇井はそれを真っ向から否定して「龍樹以前に小乗仏教を奉じる或る者の手になった」とするが、これは後に梶山や石飛道子の否定するところとなった。

宇井以降は、飯田順雄が『国訳一切経 印度撰述部 論集部1』(1933)に『方便心論』の書き下しと注釈を寄稿している。

宇井の研究から60年後に『方便心論』に新しい光を投げかけたのは、梶山雄一であった。彼は、上記の「仏教知識論の形成」で同論の内容を詳しく分析し、宇井のように龍樹の著作でないと断言できない理由を次々とあげている。『正理経』では「誤った論難」として否定されるものが「相應」という名前で『方便心論』第4章に列挙されるが、梶山はそれが龍樹の駆使した「帰謬論法」と同じであり、同論では「正しい論難」と見做されていることを指摘している。この指摘によって、『方便心論』研究は大きく転換したと言える。梶山は、「詭弁とナーガールジュナ」(『理想』第610号、1984;『著作集』第4巻所収)で同論を「反論理学書」と位置づけ、さらに1989年ウィーンで開催された第二回国際ダルマキールティ学会のプロシーディングス(Studies in the Buddhist Epistemological Tradition, ed. by E. Steinkellner, 1991, Wien)に、”On the Authorship of the Upāyahṛdaya”,を寄稿している。

長崎法潤は、『古因明』(安居事務所、1988)の中で『方便心論』第一章の現代日本語訳を公表している。

梶山の議論をさらに押し進めたのは、石飛道子である。彼女は、「『方便心論』の作者について」(『印度哲学仏教学』第19号、2004)で龍樹が同論の作者であると明言し。それと相前後して『方便心論』と龍樹を扱う幾つかの論考を公表している。(すべて、彼女のホームページ(http://manikana.la.coocan.jp)で公開されている。その集大成として、石飛は『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房仏書林、2006)において、同論の現代日本語訳と詳細な注解を発表している。

木村俊彦は、「『方便心論』の論理と立場」(『印度学仏教学研究』第108号、2006)で梶山説・石飛説を批判している。

なお、室屋安孝は、国際仏教学大学院大学の日本古写経研究グループの研究成果として「漢訳『方便心論』の金剛寺本と興聖寺本をめぐって〔附追記〕」(『日本古写経研究所研究紀要』創刊号、2016)を発表し、これまで難解だった箇所の異読を提示している。

最後に、同論の著者問題に触れると、同論は中国訳経史上で「暗黒期」と見做される時期に訳出されていて、同時代に漢訳された仏典は殆ど存在しない。したがって、同論は、翻訳者たち(吉迦夜と曇曜)が入手可能な資料にもとづいて構築したものと見做すこともできよう。それは同論の内容の晦渋さと構成の不整合性の説明ともなろう。

  1. 1.2. 『如實論 反質難品』

本論を主たる研究対象とする学術論文は、日本では皆無と言ってもいい状態である。唯一あげるとすれば、『国訳一切経 印度撰述部 論集部1』(1933)に収められている中野義照の書き下しと注釈である。ただし、目下筑波大学の小野基をリーダーとする研究グループが『如實論』の研究に従事し、その成果を徐々に公開しつつあることを報告しておく。

  1. 1.3. 陳那(Dignāga)造『因明正理門論』(Nyāyamukha)

『方便心論』同様に、『正理門論』の近代仏教学的研究を行ったのは、宇井伯寿であり、同論の漢文校訂テキスト、書き下し、そして詳細な解説を『印度哲学研究』第5巻(1929)に「因明正理門論解説」として公表している。

『国訳一切経 印度撰述部 論集部1』(1933)では、林彦明が書き下しと注釈を著わしている。

宇井の研究の約50年後、桂紹隆は、『正理門論』の梵語断片を最大限回収し、かつG. Tucciの同論の英訳(The Nyāyamukha of Dignāga, Heidelberg, 1930)と北川秀則の『集量論』の研究(『インド古典論理学の研究ー陳那(Dignāga)の体系—』(鈴木学術財団、1965)を参照して、『集量論』西蔵語訳におけるパラレルを収集して、『正理門論』の現代日本語訳と解説を公表した。「因明正理門論研究(一)〜(七)」(『広島大学文学部紀要』38~46号、1977-1987)その後、桂は『集量論』のジネーンドラブッディの『複注』第3章・第4章の梵語テキストを校訂する作業を行い、その成果として『集量論』の同章の還元梵語テキストを作成してきたので、さらに多くの『正理門論』の梵語断片とパラレルを回収することができた。目下、その成果にもとづいて、同論の英訳を作成しつつある。

なお、最新の『正理門論』研究として、新発見資料である日本人学僧の手になる同論の注釈(写本)を紹介する師茂樹の「聖語蔵所収の沙門宗『因明正理門論注』について」(『東アジア仏教研究』第13号、2015)を挙げておく。

最後に、長年漢訳でしか読むことの出来なかった『正理門論』の梵語写本の存在が知られるようになった。一日も早く梵語原典の校訂作業が開始されることを念じて止まない。

 

  1. 1.4. 商羯羅主(Śaṅkarasvāmin)造『因明入正理論』(Nyāyapraveśa)

本論は、東アジア仏教界で最も良く読まれ、研究された因明論書である。ここでも、梵語原典と漢訳とを対比して、校訂テキストを作成し、漢文書き下しと現代日本語訳を作成したのは、宇井伯寿である。『仏教論理学』(大東出版社、1936)

『国訳一切経 印度撰述部 論集部1』(1933)では、林彦明が漢文の書き下しと注釈を著わしている。なお、『国訳一切経』(和漢撰述部 論疏部21-23、1936-1960)には、中村元による『因明入正理論疏』、渡辺照宏・宮坂宥勝による『因明論疏明燈抄』の書き下しと注釈が収められている。

金倉円照は、「因明入正理論梵漢両語対照」(『文化』4-6, 1937)を編纂している。

立川武蔵は、同論の梵語テキストと詳細な注釈を伴った英訳を発表している。”A Sixth-Century Manual of Indian Logic” (Journal of Indian Philosophy, Vol. 1-2, 1971)

泰本融は、立川テキストにもとづく現代日本語訳を公表している。「佛教論理学入門」(『大乗仏教から密教へ』1981)

本論に関しては、武邑尚邦を始めとして、多くの論考が公表されているが、玄奘訳の「大種和合火」の誤りを指摘した、渡辺照宏の「玄奘訳『因明入正理論』について」(『福井記念論集』1960)のみをあげておく。

  1. 1.5. 因明に言及するその他の論書

それらを歴史的に扱った研究としては、先にあげた梶山雄一の「仏教知識論の形成」がある。漢訳だけでなく、蔵訳も梵語原典も存在する『瑜伽師地論 因明処』については、矢板秀臣の梵語原典の校訂と翻訳「瑜伽論の因明」(『成田山仏教研究所紀要』第15号、1992)と索引” Index to the Hetuvidyā Text in the Yogācārabhūmi”(『梵語仏教文献の研究』1995)があり、「瑜伽論因明の知識論について」(『インド学密教学研究』1993)を始めとする一連の論考がある。

  1. 2. 因明論書の梵語原典・蔵訳を用いた研究

印度撰述の因明論書の研究は、第二次大戦後の日本の仏教学界でもっとも活発に行われた分野の一つである。その最大の原因は、戦前ラーフラ・サーンクリティヤーヤナがチベットの僧院を訪ねて撮影に成功した、法称の『量評釈』とその注釈、ジュニャーナシュリーミトラやラトナキールティの作品集の梵語原典が公刊されたことである。そのインパクトは、1950年代後半から次々とインド留学した北川秀則、梶山雄一、服部正明、戸崎宏正、長崎法潤たちによって、日本の学界に伝えられ、彼らを中心に1960年代以降仏教認識論・論理学の研究は目覚まし進展をとげた。その成果は、下記の一般読者向けの刊行物からも垣間みることができる。

三枝充眞編『講座仏教思想 第2巻 認識論・論理学』(理想社、1974)

平川彰 「原始仏教の認識論」

三枝充悳「初期大乗仏教の認識論」

服部正明「中期大乗仏教の認識論」

戸崎宏正「後期大乗仏教の認識論」

北川秀則「中期大乗仏教の論理学」

梶山雄一「後期インド仏教の論理学」

武村尚邦「シナ・日本の因明思想」

泰本融 「比較論理学序説」

梶山雄一編集『講座大乗仏教 第9巻 認識論と論理学』(春秋社、1984)

第一章「仏教知識論の形成」

第二章「ディグナーガの認識論と論理学」(桂紹隆)

第三章「ダルマキールティの認識論」(戸崎宏正)

第四章「ダルマキールティの論理学」(赤松明彦)

第五章「刹那滅論証」(御牧克巳)

第六章「有神論批判」(宮坂宥勝)

第七章「一切智者の存在論証」(川崎信定)

第八章「概念と命題」(長崎法潤)

梶山雄一編『岩波講座東洋思想 巻8 インド仏教1』(岩波書店、1988)

桂紹隆「論理学派」

梶山雄一編『岩波講座東洋思想 巻8 インド仏教3』(岩波書店、1989)

梶山雄一「存在と認識」

桂紹隆 「概念」

戸崎宏正「認識」

岩田孝 「言語と論理」

桂紹隆編『シリーズ大乗仏教 第9巻 認識論と論理学』(春秋社、2012)

第一章「仏教論理学の構造とその意義」(桂紹隆)

第二章「存在論―存在と因果」(稲見正浩)

第三章「認識論―知覚の理論とその展開」(船山徹)

第四章「論理学―法称の論理学」(岩田孝)

第五章「真理論―プラマーナとは何か」(小野基)

第六章「言語哲学―アポーハ論」(片岡啓)

第七章「全知者証明・輪廻の証明」(護山真也)

第八章「「刹那滅」論証―時間実体(タイム・サブスタンス)への挑戦」(谷貞志)

大戦後の日本の仏教認識論・論理学研究を牽引してきた梶山雄一自身が選んだ関連論文集は、没後刊行された『梶山雄一著作集 第7巻 認識論と論理学』(春秋社、2013年)に収められている。また、梶山の英文論文集は、Studies in Buddhist Philosophy: Selected Papers (臨川書店、1989年、第二版2005年)として刊行されている。

以下、インド仏教の主要な論理学者とその著作を順次取り上げて、日本人研究者による主要な業績に触れるが、Birgit Kellner博士が編集した次のサイトもあわせて参照されたい。EAST EPISTEMOLOGY AND ARGUMENTATION IN SOUTH ASIA AND TIBET (http://east.uni-hd.de/)

なお、中観学派の祖とも言うべき龍樹は、当時の実在論的論理学を徹底的に揶揄し、批判しているが、かれ独自の「枚挙法」に「帰謬法」を加えた論争法は、インド論理学の発展に大きく寄与しているが、彼を含め中観派の学者たちの「論理学」は本稿では取り扱わない。

  1. 2.1. 世親(Vasubandhu)の論理学書 『論軌』『論式』『論心』

この三作品は、散逸して、翻訳でも残存しない。陳那が『集量論』各章の「他学派批判」の冒頭で『論軌』の学説を逐一引用して、批判していることから、その内容が推察されるだけである。他の二論書について、陳那は『正理門論』末尾で名前を言及しているだけである。したがって、日本の学界では殆ど研究対象とはされてこなかった。(武邑尚邦の「世親の論理書について」『印度学仏教学研究』第13号、1958がある。)強いてあげるとすれば、桂紹隆の「インド論理学における遍充概念の生成と発展」(『広島大学文学部紀要』第45号、特揖号、1986)において、世親の論理学に触れているくらいである。なお、同論文は、梶山雄一の「仏教知識論の形成」を引き継いで、インド論理学・仏教論理学の発展過程を記述しようとしたものであるが、その過程で、インド論理学の最も重要な概念とも言うべき「遍充」(vyāpti)が、インド文法学の「限定詞」(eva)の機能に起原を有し、陳那によって論理学のキー概念として確立されたことを論証している。英文サマリーは、「On the Origin and Development of the concept of vyāpti in Indian Logic」(『哲学』第38号、1986)。

  1. 2.2. 陳那(Dignāga)の論理学書

2.2.1.『正理門論』(1.3.参照)

2.2.2.『集量論』(Pramāṇasamuccaya-vṛtti)

本論の研究において大きな成果を挙げたのは、北川秀則と服部正明である。北川は、既にあげた『インド古典論理学の研究』(1965)において、『集量論』第2章・第3章・第4章・第6章の陳那の「自説」部分の蔵訳校訂テキストと和訳・注解を発表した。同書にはさらに第1章・第2章・第3章の「正理学派批判」、そして第3章の「論軌批判」の部分のテキスト・和訳・注解が含くまれている。さらに、法称の『他相続論証』と陳那の『取因仮設論』の英訳も収められている。北川の翻訳の特徴は、彼が理解出来なかった難解な箇所には「解読不能」と記して、あえて翻訳を加えなかった点にある。第一部の「陳那の論理学の体系」は、それまで主流であったアリストテレスの形式論理学の用語を用いてインド論理学を理解し、説明しようという考えに釘を刺して、独特の図を用いて、陳那論理学を体系的に説明しようとした画期的な試みであった。陳那が挙げる「似宗」のなかに「陳那の論理学の限界とそれを超えた問題に対する処理」を見いだす、極めて興味深い考察が展開されている。北川は、第2章以下の「他学派批判」部分の英訳を志していたが、病のため、実現することはなかった。

北川の書に好意的な書評を書いたのが、論理学者の山下正男であった。(「北川秀則著「インド古典論理学の研究」を読んで」『哲学研究』第44号、1970)山下は「九句因」の独自の図示を試みると同時に、陳那の論証式の「喩支」における「実例」への言及が論理的には無用であることを指摘している。山下は、後に挙げる末木剛博や大森正蔵とともにインド論理学に関心を寄せた数少ない西洋哲学者の一人であり、『理想』610号(1984)で「空の論理学」を発表し、「ハッセの図式」によって「空の思想」を解明している。

なお、桂紹隆は、「Dignāga on trairūpya」(『印度学仏教学研究』第63号,1983)で、北川の「因の三相」理解に修正を加えている。さらに、「Dignāga on trairūpya Reconsidered」(『インドの文化と論理』2000)でOetkeの「因の三相」理解を批判している。また、「On trairūpya formulae」(『仏教と異宗教』1985)で、「因の三相」の定型句の変化により、陳那に至る仏教論理学の展開を明らかにした。

『集量論』第1章・第5章を担当したのは服部正明であった。第1章の研究成果は、最終的にDignāga, On Perception, being the Pratyakṣapariccheda of Dignāga’s Pramāṇasamuccaya from the Sanskrit fragments and the Tibetan versions (Harvard Oriental Series 47, 1968)として刊行された。陳那以降の仏教論理学者たちの論書(『量評釈』など)や仏教以外の印度哲学諸派の論書を渉猟して付された「注釈」は、半世紀たった今もその価値を失わないものである。第5章の研究成果としては、Jinendrabuddhiの『複注』を含む蔵訳テキストの校訂The Pramāṇasamuccayavṛtti of Dignāga with Jinendrabuddhi’s Commentary, Chapter Five: Anyāpoha-parīkṣā (『京都大学文学部研究紀要』第21号、1982)が第一に挙げられる。それに先立ち公表されている「Mīmāṃsāślokavārttika, Apohavāda章の研究(上)(下)」(『京都大学文学部研究紀要』第14−15号、1973-75)は、クマーリラによるアポーハ論批判の翻訳・研究であるが、アポーハ論を印度哲学史の中に位置づけた画期的な論考でもある。服部は、Dignāga’s Theory of Meaning (Wisdom, Compassion, and the Search for Understanding: The Buddhist Studies Legacy of Gadjin M.Nagao, University of Hawaii Press, 2000)など幾つかの第5章の翻訳・研究を公表したが、デンマークのPindtが第5章の研究を進めていることを知ると同章の研究から離れていった。

なお、陳那のアポーハ論については、多くの論考が公表されているが、桂紹隆のApoha Theory of Dignāga (『印度学仏教学研究』第55号、1979)、原田和宗の「ディグナーガのアポーハ論研究ノート(一)(二)(三)」(『仏教学会報』第10−12号、1984-86)、片岡啓の「ディグナーガの意味論をめぐって」(『印度学仏教学研究』第128号、2012)「牛の認識は何に基づくのか?ーディグナーガのアポーハ論ー」(『印度学仏教学研究』第131号、2013)を始めとする多数の論考(Jayantaなど他学派の批判を通してアポーハ論を検討する点に片岡の研究の独自性がある)、吉水清孝のHow to Refer to a Thing by a Word: Another Difference between Dignāga’s and Kumārila’s Theories of Denotation (Journal of Indian Philosophy,Vol. 392011)などをあげておく。一方、比較思想的視点から、上田昇が『ディグナーガ、論理学とアポーハ論―比較論理学的研究—』(山喜房仏書林、2006)を刊行している。法称以降のアポーハ論研究については後に述べる。

北川・服部と同世代の陳那研究者に、武邑尚邦がいる。彼の『集量論』研究の成果は、『仏教論理学の研究―知識の確実性の論究』(百華園、1968)に収められている。

『集量論』研究に大きな変化をもたらしたのは、Jinendrabuddhiの『複注』の梵語写本がチベットの僧院から発見され、オーストリア科学アカデミーのSteinkellnerの研究グループにより写本の翻刻と批判的校訂テキストの出版が開始されたことである。第1章は2005年に、第2章は2013年に北京の中国蔵学研究中心から出版されている。第3・第4章は桂紹隆が京都の龍谷大学を拠点に校訂作業を終えている。第5章は、デンマークのOle Pindtの研究成果を受けてBirgit Kellnerを中心にオーストリア科学アカデミーで校訂作業が行われつつある。第6章は筑波大学の小野基の研究グループが校訂作業を終えている。したがって、Jinendrabuddhiの『複注』の批判的校訂は数年のうちに出版されるはずである。

『複注』第1章の翻訳研究としては、片岡啓が「Pramāṇasamuccayaṭīkā ad 1.1和訳」(『南アジア古典学』第2号、2007)、吉田哲が「Pramāṇasamuccayaṭīkā第一章(ad PS I 3c-5 & PSV)和訳」(『インド学チベット学研究』第15号、2011)などを公表している。二人とも、その翻訳研究にもとづき『印度学仏教学研究』などに複数の研究論文を発表している。近藤隼人は「Pramāṇasamuccayaṭīkā第1章に見るṢaṣṭitantra注釈書の知覚論」(『インド哲学仏教学研究』第17号、2010)を著わしている。

『複注』第3・第4章に関しては、桂紹隆が「Rediscovering Dignāga through Jinendrabuddhi」(In Sanskrit Manuscripts in China, ed. Ernst Steinkellner et al., Beijing 2009)、「A Report on the Study of Sanskrit Manuscript of the Pramāṇasamuccayaṭīkā Chapter 3」(『印度学仏教学研究』Vol. 124、2011)、「同Chapter 4」(『印度学仏教学研究』Vol. 139、2016)において、両章の『集量論』全偈頌の梵語テキストを回収、還梵している。桂グループの共同研究者である渡辺俊和や志賀浄邦の研究論文には『複注』第3・第4章からの情報が利用されている。また、第6章を担当する小野グループの小野基・室屋安孝・渡辺俊和からは、『正理門論』や『如實論』も視野に入れた論考が今後次々と公表されるはずである。室屋の最新の論文「The Nyāyamukha and udghaṭitajña」(Journal of Indian Philosophy, 2017)は、『正理門論』の最終偈の新たな還元梵文を提唱する画期的な論考である。

2.2.3. 陳那のその他の作品

陳那が残した論理学書としては『因輪決択論』(Hetucakraḍamaru)があるが、その研究としては、武邑尚邦の「西蔵訳因輪決択頌の訳解」(『仏教学研究』第8/9号、1953)が目に付く位である。その他の作品のうち『観所縁論』『取因假設論』などの漢訳からの翻訳研究として、宇井伯寿『陳那著作の研究』(岩波書店、1958)がある。『観所縁論』には、山口益・野澤静証『世親唯識の原典解明』(法蔵館、1953)に収められている他、松岡寛子や伊藤 康裕の最近の研究がある。『取因假設論』には、既に挙げた北川秀則の英訳研究がある。『観三世論』等の研究については、因明研究史の解明を目的とする本稿では特に触れない。

  1. 2.3. 法称(Dharmakīrti)の論理学書
    1. 2.3.1. 『量評釈』(Pramāṇavārttika)

宮坂宥勝が、梵蔵校訂テキストと索引を出版している。Pramāṇavārttika-kārikā (Sanskrit and Tibetan), 『インド古典研究』 Vol. II, 1972; An Index to the Pramāṇavārttika-kārikā, 『インド古典研究』, Vols. II & III, 1972, 1976. 宮坂には「ダルマキールティの生涯と作品」(『密教文化』第93・第94号、1970, 71)という論考がある。

小野基は高島淳と共著で、『量評釈』だけでなく、法称の梵語原典が存在する全作品を対象として、極めて有用な『ダルマキールティ梵文テクストKWIC索引』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1996)を刊行している。

1998年に、渡辺重朗は、Sanskrit manuscripts of Prajñākaragupta’s Pramāṇavārttikabhāṣyam (Facsim. ed)とA Sanskrit manuscript of Manorathanandin’s Pramāṇavārttikavṛttiḥ (Facsim. ed)、伊原照蓮は、Sanskrit manuscripts of Karṇakagomin’s Pramāṇavārttika(sva)vṛttiṭīkā (Facsim. ed)を出版し、法称文献の基礎的研究のために大きく貢献した。

2.3.1.1. 第1章「為自比量章」+自注

翻訳研究としては、若くしてS. Mookerjeeの下に留学した長崎法潤が師と共著で第1~第51偈の英訳、The Pramāṇavārttikam of Dharmakīrti (Nava Nalanda Mahavihara Research Publication, Vol. 4, Patna, 1964)を公刊している。さらに太田心海がP.R. Voraと共著で第52~第94偈の英訳、単独で第95~第162偈の和訳、第163~第180偈の英訳を『佐賀龍谷短期大学紀要』(第25~27、31~34号、1979~88)に公表している。その後、矢板秀臣が第198~第223偈の英訳(On anupalabdhi I, 『大正大学大学院研究論集』第9号、1985他3編)、若原雄昭が第213~第219偈と第292~第311偈の和訳(「アーガマの価値と全知者の存在証明」『仏教学研究』第41号、1985他1編)、大前太が第224偈以降の和訳(「ダルマキールティの聖典観」『哲学年報』第47号、1988他5編)を公表している。

第1章のテーマは、推理論だけでなく、アポーハ論と聖典論である。アポーハ論については、赤松明彦の「ダルマキールティのアポーハ論」(『哲学研究』第46号、1980)が見事な解説を提示している。赤松は、法称以降のDharmottaraやJñānaśrīmitraのアポーハ論の研究論文を『印度学仏教学研究』に発表し、パリ第三大学に提出した博士論文Évolution de la théorie de l’Apoha (L’Apohaprakaraṇa de Jñānaśrīmitra)へと結実して行った。その一部は、Vidhivādin et Pratiṣedhavādin: Double aspect présenté par la théorie sémantique du bouddhisme indien (Zinbun 21, 1987)として公表されている。

聖典論は、大前の他にも、若原雄昭が「ダルマキールティのヴェーダ聖典批判」(『龍谷大学大学院紀要』第11号、1990)などで論じ、秋本勝が「Āgama論一考」(『印度学仏教学研究』第70号、1987)などで論じている。

ダルマキールティに関して最も盛んに議論されたのは、彼の推理論の根幹として導入されたsvabhāvapratibandhaの内容理解であろう。その嚆矢となったのは、松本史朗の「Svabhāvapratibandha」(『印度学仏教学研究』第59号、1981)である。同論文で批判されたSteinkellnerは、「Svabhāvapratibandha again」(Acta Indologica, Vol. 6, 1984)で反論するが、それを契機に日本の仏教学界で多くの論考が蓄積されることになった。その経緯は、片岡啓「svabhāvapratibandha研究の見取り図」(『インド論理学研究』IV, 2012)に見事に整理されている。詳細は同論文に譲るが、例えば桂紹隆は、「Svabhāvapratibandha Revisited」と「Pramāṇavārttika IV.202-206 – towards the correct understanding of svabhāvapratibandha」(『印度学仏教学研究』第69, 80号,1986、1992)を発表している。福田洋一は、「ダルマキールティにおける論理の構造への問い」『印度学仏教学研究』第65号,1984)、「ダルマキールティの論理学におけるsvabhāvapratibandhaの意味について」(『印度学仏教学研究』第70号,1987)、岩田孝は「法称の自性證因(svabhāvahetu)説覚書」(『東洋の思想と宗教』第5号、1988)、船山徹は「Bhāva and Svabhāva in Dharmakīrti」(『印度学仏教学研究』第72号,1988)、「ダルマキールティの「本質」論」(『南都仏教』第63号、1989)を発表している。

その後、桂が「ダルマキールティ論理学における術語svabhāvaについて」(『仏教とジャイナ教』2005)を発表する(この改良版は、「From Abhidharma to Dharmakīrti – With a special reference to the concept of svabhāva」(Religion and logic in Buddhist philosophical analysis, Wien 2011)と、金沢篤は、彼が編集する『インド論理学研究』の創刊号(2010)で「svabhāvapratibandha を読むーインド論理学・仏教論理学研究史の一滴—」で厳しい批判を展開した。それは第63回印度学仏教学会学術大会のパネルへと発展し、その報告が「討論svabhāvapratibandha」(『印度学仏教学研究』第129号、2013)として公表されている。そこには、一種のコンセンスが得られたことが報告されている。そのときの発表は、上記の片岡の論考と同様に『インド論理学研究IV』に福田洋一「svabhāvapratibandhaの複合語解釋」、金沢篤「svabhāvapratibandhaを解く」として掲載されている。福田はさらに、「『プラマーナ・ヴァールティカ』自注におけるpratibandhaの意味」を同誌の次号(V)に発表している。

なお、『インド論理学研究』には、創刊号以来多くの仏教論理学関係の論考が寄せられている。例えば、狩野恭「ダルマキールティにおける否定の論理」、小野基「相違決定(viruddhāvyabhicārin)をめぐって」(創刊号)、福田「ダルマキールティとanyāpoha」崔境眞「推理の対象としての普遍」(II, 2011)、谷貞志「空と刹那:スライドする認識論と論理学」(III, 2011)、片岡啓「アポーハとは何か」、西沢史仁「仏教論理学の歴史的展開に関する一考察」(V, 2012)、赤松明彦「ディグナーガの「他者の排除」の定義にかかわる断片をめぐって―シンハスーリ『論理哲学探究』第8章の研究(1)」、小川英世「パーニニ文法学<言葉の領域外不使用の原則>について―ディグナーガ「アポーハ論」の文法学派的解釈」、狩野恭「『ニヤーヤ・バーシュヤ』の推理論とディグナーガのアポーハ論―推理命題における述語概念のアポーハから語の意味としての概念のアポーハへ―」、片岡啓「ダルモッタラの概念論―付託と虚構―」(VII, 2014)

(吉水千鶴子:The development of sattvānumāna from the Refutation of a Permanent Existent in the Sautrantika Tradition. Wiener Zeitschrift für die Kunde Südasiens/(43)/p.231-254, 1999-01)

法称のインド論理学への貢献のひとつは、「刹那滅論証」を定型化する過程で、「帰謬論証」(prasaṅga)を正当な論証法として確立したことであった。この点に関して大きな貢献をしたのは、岩田孝である。その成果は、Prasaṅga und prasaṅgaviparyaya bei Dharmakīrti und seinen Kommentatoren (Arbeitskreis für Tibetische und Buddhistische Studien Universität Wien, 1993)として出版されている。他に、谷貞志、上田昇の論考があるが、渡辺俊和の「Dignāga on Āvīta and Prasaṅga」(『印度学仏教学研究』第130号、2013)は、Jinendrabuddhiの新出資料を用いている。

本章のŚākyabuddhiによる『複注』の梵語テキスト(断片)は、稲見正浩が、松田和信・谷貞志とともに A study of the Pramāṇavārttikaṭīkā by Śākyabuddhi from the national archives collection, Kathmandu(東洋文庫、1992)として公刊している。

本章のKarṇakagominによる『複注』冒頭部分は、桂紹隆が「カルナカゴーミン作『量評釈第1章復注』和訳研究(1)(2)」(『広島大学文学部紀要』第54, 56号、1994, 96)を公表している。また、赤松明彦は「Karṇakagomin and Śāntarakṣita」(『インド学報』第3号、1981)を著わしている。渡辺俊和は、本章の第39偈までのKarṇakagominによる『複注』の研究にもとづき「dṛśyānupalabdhiにおける知覚可能性の把握」(『印度学仏教学研究』第99号、2001)など法称の比量論の研究論文を発表している。

2.3.1.2. 第2章「量成就章」

木村俊彦が和訳研究を『ダルマキールティ宗教哲学の原典研究』(木耳社、1981)と『ダルマキールティにおける哲学と宗教』(大東出版社、1998)として出版している。一方、稲見正浩は、Tom Tillemansと共著で、「Another Look at the Framework of the Pramāṇasiddhi Chapter of Pramāṇavārttika」(Wiener Zeitschrift fur die Kunde Sudasiens , 30, 1986)を発表し、単著で「ダルマキールティによる論廻の論証(上)(下)」(『南都仏教』第56-57号、1986-87)などの多くの論考、そしてすべての注釈を考察対象とする「『プラマーナ・ヴァールティカ』プラマーナシッディ章の研究(1)~(13)」(『広島大学文学部紀要』、『島根県立国際短期大学紀要』、『東京学芸大学紀要 第2部門 人文科学』1992~2014)を公表している。

本章に関しては、大著『輪廻の論証―仏教論理学派による唯物論批判』(東方出版、1996)を著わした生井智紹が「Pramāṇavārttika II 113について」(『印度学仏教学研究』第80号、1992)等数編の論文を著わしている。他に、木村誠司、護山真也などの論文がある。

桂紹隆は、「Dharmakīrti’s Theory of Truth」(Journal of Indian Philosophy, Vol.12, 1984 )で本章冒頭の「プラマーナの定義」部分を英訳している。なお、「プラマーナの定義」については、谷貞志の「逆行する認識論と論理」(『仏教思想の諸問題』1985)、稲見正浩「仏教論理学派の真理論-デーヴェーンドラブッディとシャーキャブッディー」(『原始仏教と大乗仏教』1993)、小野基の「プラジュニャーカラグプタによるダルマキールティのプラマーナの定義の解釈」(『印度学仏教学研究』第84号、1994)と「プラマーナの定義—プラジュニャーカラグプタの解釈をめぐって—」(『印度学仏教学研究』第132号、2014)、木村誠司の「プラマーナの定義について」(『駒沢短期大学仏教論集』第1号、1995)他3編などが発表されている。

並行する議論として、『集量論』帰敬偈に登場し、法称も解説する「pramāṇabhūta」という語については、岩田孝の「世尊は如何にして公準(pramāṇa)となったのか」(『駒澤短期大学仏教論集』第6号, 2000)、袴谷憲昭の「pramāṅa-bhūtaとkumāla-bhūtaの語義」(『駒沢短期大学仏教論集』第6号、2000)と「Pramāṇa-bhūta補記」(『駒沢短期大学研究紀要』第29号、2001)、そして、小野基の「pramāṇabhūtaの意味の変遷」(『印度学仏教学研究』第129号、2013)などがある。

2.3.1.3. 第3章「現量章」

戸崎宏正が、『集量論』第1章の自説部分の翻訳とともに「現量章」全体のテキスト校訂、和訳、詳細な解説を『仏教認識論の研究—法称著『プラマーナ・ヴァールティカ』の現量論—(上)(下)』(大東出版社、1979, 1985)として公刊している。また、それに先行して「仏教論理学説と経量部説(1)~(5)」(『印度学仏教学研究』第21~第33号、1963~1968)を発表している。

桂紹隆は第320偈以降の研究にもとづき「ダルマキールティにおける「自己認識」の理論」(『南都仏教』第23号、1976)を発表している。自己認識については、原田和宗の「文章の表示対象としての〈直観〉と〈自己認識〉(上)(中)(下)」(『仏教学会報』第13~17号、1989-1992)、久間 泰賢の「Dharmakīrtiの自己認識(svasaṃvedana)覚え書き」(『日本仏教学会年報』第73号、2008)、村上 徳樹の「対象認識と自己認識の区別について」(『印度学仏教学研究』第117号、2009)、小林 久泰の「認識結果としての自己認識」(『日本西蔵学会会報』第55号、2009)、片岡啓「自己認識と二面性」(『印度学仏教学研究』第126号、2012)などがある。

現量の対象である「自相」(svalakṣaṇa)については、沖和史の「自相について」(『密教学研究』第14号、1982)、谷貞志の「ダルマキールティ「SVALAKṢAṆA(独自相)」の問題」(『インド学密教学研究』1993)、小林久泰の「Prajñākaragupta’s Interpretation of svalakṣaṇa」(『印度学仏教学研究』第124号、2011)などがある。

桂紹隆は、「知覚判断・疑似知覚・世俗知」(『インド哲学と仏教』1989)、「On Perceptual Judgement」(Studies on Buddhism in honour of Professor A.K. Warder, 1993)で法称の認識論の重要な構成要素として「知覚判断」という概念を取り上げた。その後、福田洋一、木村誠司、沖和史、狩野恭、乗山悟などが論じたが、近年では、中須賀美幸が「ダルマキールティの「付託の排除」論—adhyavasāya, niścaya, 知覚判断の関係をめぐってー」(『南アジア古典学』第9号2014年)、「ダルマキールティのアポーハ論—知覚判断と付託の欠如(samāropaviveka)—」(『南アジア古典学』第10号2015年)「ダルマキールティの知覚判断説と仏教真理論におけるその受容」(『哲学』第67号、2015)などを発表している。

法称のsahopalambhaniyamaによる唯識論証は、彼の独自の貢献であるが、これについては、松本史朗の「sahopalambha-niyama」(『曹洞宗研究員研究生紀要』第12号、1980)、岩田孝の「Bemerkung zur sahopalambhaniyama-Schlussfolgerung Dharmakīrtis und seiner Kommentatoren」(『印度学仏教学研究』第59号、1981)などがあり、近年では松岡寛子が「Śāntarakṣita’s Interpretation of the sahopalambhaniyama Proof Re-examined」『印度学仏教学研究』第124号、2011)などで唯識論証の考察を行っている。

2.3.1.4. 第4章「為他比量章」

谷貞志が冒頭14偈の翻訳研究「Pramāṇavārttika. IV[Parārthānumāna]の問題[1]」(『高知高等工業専門学校学術紀要』第17号、1981)などを公表している。渡辺重朗は「正理門論注釈者—PV 4.27試論」(『仏教思想論集』1976)と「sadvitīyaprayoga」(『密教思想』1977)で、第15〜第41偈を和訳研究している。小野基は、「ダルマキールティの九句因解釈-PV IV 195-204-」(『比較思想の途 』第4号、 1985)を始めとして、本章を扱う複数の論文を著わしている。

2.3.1.5.『量評釈』の註釈家たち

2.3.1.5.1. Devendrabuddhi (Pramāṇavārttika-pañjikā)

松本史朗は「仏教論理学派の二諦説(上)(中)(下)」(『南都仏教』第45~47号、1980-81)で法称だけでなく、DevendrabuddhiとŚākyabuddhiの存在論を明らかにしている。

岩田孝は「Devendrabuddhiの知識論」(『仏教学』第13号、1982)と「デーヴェーンドラブッディによる悲愍増長の論証(上)(慈悲)」(『日本仏教学会年報』72 号, 2007)を発表している。稲見正浩は「仏教論理学派の真理論—デーヴェーンドラブッディとシャーキャブッディ―」(『原始仏教と大乗仏教(下)』、1993)を著わしている。

2.3.1.5.2. Śākyabuddhi (/Śākyamati) (Pramāṇavārttika-ṭīkā)

岩田孝は「Śākyamatiの知識論」(『PHILOSOPHIA』第69号、1981)を発表している。

桜井(那須)良彦は「Dharmakīrti, Śākyabuddhi, ŚāntarakṣitaのApoha論」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第22号、2000)でŚākyabuddhiが「アポーハ」の三種の意味を提唱したことを明らかにしている。同じテーマを、石田尚敬は「〈他の排除(anyāpoha)〉の分類について : ŚākyabuddhiとŚāntarakşitaによる〈他の排除〉の3分類」(『インド哲学仏教学研究』第12号, 2005)で論じている。さらに、岡田 憲尚は、「シャーキャブッディのアポーハ論解釈の一面について」(『印度学仏教学研究』第108号、2006)を著わしている。

2.3.1.5.3. Prajñākaragupta (Pramāṇavārttikālaṃkāra)

沖和史が「<<citrādvaita>>理論の展開—Prajñākaraguptaの論述—」(『東海仏教』第20号、1975)を発表している。

北川・梶山・服部・戸崎世代以降の日本における代表的な仏教論理学研究者である岩田孝の最初の研究対象はPrajñākaraguptaであり、「Ein Aspekt des Sākāravijñānavāda bei Prajñākaragupta (PVBh)」(『印度学仏教学研究』Vol. 61, 1982)を始めとする多くの論考を著わしているが、代表作はウィーン大学のErnst Steinkellnerの指導を受け、ハンブルク大学へ提出した博士論文Sahopalambhaniyama, Struktur und Entwicklung des Schlusses von der Tatsache, daß Erkenntnis und Gegenstand ausschließlich zusammen wahrgenommen werden, auf deren Nichtverschiedenheit, Teil I und Teil II (Franz Steiner Verlag Stuttgart, 1991)であろう。

木村誠司は、「チベット仏教におけるPrajñākaraguptaに対する評価」(『日本西蔵学会会報』第31号,1985)などの研究を著わしている。

小野基は、「プラジュニャーカラグプタによるダルマキールティのプラマーナの定義の解釈」(『印度学仏教学研究』第184号、1994)、「仏教論理学派の一系譜-プラジュニャーカラグプタとその後継者たち」(『哲学・思想論集』第21号、1996)などの研究を踏まえ、ウィーン大学へ『量評釈』第2章冒頭7偈に対するPrajñākaraguptaの注釈の研究により博士論文を提出し、後にPrajñākaraguptas Erklärung der Definition gültiger Erkenntnis (Pramāṇavārttikālaṃkāra zu Pramāṇavārttika II 1-7)(Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, 2000)を出版している。小野はさらに『量評釈』第4章冒頭部分のPrajñākaraguptaの注釈の和訳研究を「Pramāṇavārttikālaṅkāra, Parārthānumāna章の研究―校訂テクストと和訳・訳註―(1)~(7)」(『哲学・思想論集』第28~36号、2003~11)として公表している。

渡辺 重朗も、「「量評釈荘厳」に於ける量の定義」(『成田山仏教研究所紀要』第1号、1976)、「Prajñākaragupta’s Pramāṇavārttikabhāṣyam ad Pramāṇavārttikam 2.1.abc and 2.4.d-2.5.ab Sanskrit Text and Tibetan Text with Tibetan-Sanskrit Index」(『成田山仏教研究所紀要』第23号、2000)を公表している。

稲見正浩は、長年にわたって東京学芸大学において若手研究者を集めて「プラジュニャーカラグプタ研究会」を開催して来た。その研究成果の一部は「プラジュニャーカラグプタにおける二種の認識対象と認識手段 – Pramāṇavārttikālaṅkāra ad PV III 1-2 和訳研究」(野武美弥子、林慶仁、護山真也と共著、『南都仏教』第81号、2002)、「プラジュニャーカラグプタのvyavaccheda論 – Pramāṇavārttikālaṅkāra ad PV IV 189-194和訳研究 -」(石田尚敬、野武美弥子、林慶仁と共著、『南都佛教』第85号、2005)、「プラジュニャーカラグプタにおける不二知」(『神子上恵生教授頌寿記念論集』、2004)として公表されている。

稲見チームの一人である林 慶仁は、「Prajñākaraguptaによる夢の階層的理解」(『東洋の思想と宗教』第12号、1995)など三編Prajñākaraguptaを扱う論文を著わしている。また、「有形相唯識論者Yamāri」(『仏教学』第44号、2002)を公表している。

同じく護山真也は「Pramāṇavārttika II k. 34に関するPrajñākaraguptaの解釈について」(『印度学仏教学研究』Vol. 92, 1998)を始めとして少なくとも十編のPrajñākaraguptaに関する論文を公表している。その集大成をウィーン大学へ博士論文として提出し、後にOmniscience and Religious Authority: A Study on Prajnakaragupta’s Pramāṇavārttikālaṅkārabhāṣya ad Pramāṇavārttika II 8-10 and 29-33 (LIT Verlag 2014)を公刊している。

小林久泰は、『量評釈』第3章の「唯識論証」に対するPrajñākaraguptaの注釈を中心に研究し、「プラジュニャーカラグプタの認識の無所縁性の論証」(『哲学』第53号、2001)や「Prajñākaragupta on the Two Truths and Argumentation」(Journal of Indian Philosophy, Vol. 39(4-5), 2011)など多くの論文を著わしている。

2.3.1.5.4. Manorathanandin (Pramāṇavārttika-vṛtti)

桂紹隆は、「ダルマキールティの認識手段二種論・マノーラタナンディンの解説」(『インド哲学仏教思想論集』2004)で『量評釈』第3章の冒頭10偈とそれに対するManorathanandinの注釈を和訳している。野武美弥子は、Eli Francoと共著でDharmakirti on the Duality of the Object: Pramanavarttika III 1-63 (Leipziger Studien Zu Kultur Und Geschichte Sud- Und Zentralasiens 2014)を出版し、第3章の冒頭63偈に対する注釈を英訳している。

本多恵は『ダルマキールティの「認識批判」』(平楽寺書店、2005)で和訳を提示している。

2.3.2.『量決択』(Pramāṇaviniścaya)

かつては、蔵訳しか利用出来ず、山上証道、矢板秀臣、下田浩明等によって梵語断片の回収我行われたが、今は全章の梵語テキストがErnst Steinkellner とPascale Hugon=苫米地等流により刊行されている。

Dharmottaraの複注の梵語写本も一部発見され、オーストリア科学アカデミーのプロジェクトとして校訂されつつある。第2章の校訂作業には、酒井真道と石田尚敬が参加し、それぞれウィーン大学に博士論文として提出した。第3章に関しては、岩田孝と渡辺俊和が参加している。

2.3.2.1. 第1章「現量論」

蔵訳から、高麗行信が部分訳を「「プラマーナ・ヴィニシュチャヤ」現量章和訳」(『智山学報』第40、第45号、1977,1982)に発表している。戸崎宏正は「法称著『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』第1章現量(知覚)論の和訳(1)〜(10)」(『哲学年報』第45〜46号, 『藤田宏達博士還暦記念論集 インド哲学と仏教』,『哲学年報』第48〜49号,『西日本宗教学雑誌』第12号,『哲学年報』第50〜52号,西日本宗教学雑誌)第15号、1986〜1993)を発表している。

西川高史は「Pramāṇaviniścayaにおける現量の定義」(『駒沢大学仏教学部論集』第15号、1984)などを発表している。

2.3.2.2. 第2章「為自比量」

赤松明彦は、本章により前述の「ダルマキールティの論理学」を著わしている。

酒井真道は、Dharmottaraの『複注』の梵語テキストの研究にもとづき、「Dharmottara’s Re-Use of Arguments from the Kṣaṇabhaṅgasiddhi in the Pramāṇaviniścayaṭīkā」(Journal of Indian Philosophy, Vol. 43-2/3, 2015)などを発表している。

2.3.2.3. 第3章「為他比量」

谷貞志は、蔵訳の冒頭第6偈までの和訳研究を「Pramāṇaviniścaya. III 解釈の問題 [1][2]」(『高知工業高等専門学校学術紀要』第18, 21号、1982, 1984)として発表したのち、第63偈までの英訳と研究を「The Problem of Interpretation on Pramāṇaviniścaya III」(『高知工業高等専門学校学術紀要』第25~38号, 1986~1994)として10回にわたって公表した。

一方、岩田孝は蔵訳の第5偈までと第64~67偈の和訳研究を「『知識論決択』(Pramāṇaviniścaya)第三章(他者の為の推論章)和訳研究」を『東洋の思想と宗教』(第6号, 1989)などに8回にわたって発表し、さらに独訳を「Pramāṇaviniścaya III (64-67)― Die Reduzierung richitiger Gründe auf den svabhāva- und kāryahetu」など4回にわたってWiener Zeitschrift für die Kunde Südasiens und Archiv für Indische Philosophie, (Vol. 37-43, 1993-97)に公表した。現在は、新たに発見されたDharmottaraによる『複注』の梵語写本と既に刊行された『量決択』の梵語テキストにより独訳を完成しつつある。

なお、本章の梵語テキストの校訂本は、苫米地等流がPascale Hugonと共著で公刊している。Dharmakīrti’s Pramāṇaviniścaya, Chapter 3. Critically edited by Pascale Hugon and Toru Tomabechi , with a preface by Tom J. F. Tillemans. Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region, 8. Beijing and Vienna: China Tibetology Publishing House/Austrian Academy of Sciences Press, 2011.

2.3.3.『因一滴』(Hetubindu)

原田和宗が、冒頭部分の和訳を「『論拠の雫玉』(Hetubindu) 第I節 試訳」(『九州龍谷短期大学紀要』第44号、1998)と「論拠の雫玉」(Hetubindu)第II節試訳」(『密教文化』第202号、1999)として発表している。

乗山悟は、本書のArcaṭaによる『複注』の研究を一貫して行っており、「Hetubinduṭīkā, 論証因総説章について」(『印度学仏教学研究』第96号、2000)などの研究論文と「アルチャタの「推論の解明」―Hetubinduṭīkā研究(1)(pp. 1-5)―」(『インド学チベット学研究』第3号、1998)以下の翻訳研究を発表している。

吉水千鶴子は、Augenblicklichkeit (kṣaṇikatva) und Eigenwesen (svabhāva): Dharmakīrtis Polemik im Hetubindu. Wiener Zeitschrift fur die Kunde Südasiens/ Vienna Journal of South Asian Studies/47/p.197-216, 2003を発表している。

酒井真道は、「アルチャタによるダルマキールティの刹那滅論証解釈」(『南都仏教』第93号、2009)「アルチャタ作Hetubindutika訳註研究–アルチャタによるダルマキールティの刹那滅論証解釈」(『宗教学・比較思想学論集』第10号、2009)など多くの論文を発表している。

志賀浄邦は、「Conflicts and Interactions between Jaina Logicians and Arcata」(『ジャイナ教研究』第19号、2013)などでジャイナ教論理学との対照を行っている。

『因一滴』にもとづいて、桂紹隆は「ダルマキールティの因果論」(『南都仏教』第50号、1983)を著わし、法称が因果関係に二つのタイプを想定していたことを明らかにした。

なお、仏教論理学における因果論の研究は、梶山雄一の「Trikapañcakacintā」(『インド学試論集』第4/5号、1963)に法称などの因果関係の決定法が紹介されたのを契機として、神子上 恵生の「仏教徒の因果関係の決定方法についての一考察」(『仏教学研究』第39/40号、1984)、稲見 正浩の「ダルマキールティにおける「因果関係の決定」(『哲学』第39号、1987)、「On the Determination of Causality」(Dharmakirti’s Thought and Its Impact on Indian and Tibetan Philosophy, Wien 1999)などの論考がある。渡辺俊和は、「因果関係における帰謬および差異の概念」(『哲学』第56号、2004)など三編の論文を著わしている。

さらに、因果論と密接な関係にある存在論、特に法称の「存在の定義」の解釋については、神子上惠生の「物にそなわる普遍的機能(Sāmānyāśakti)と特殊的機能(Pratiniyatāśakti)」(『龍谷大学仏教文化研究所紀要』第17号、1998)と「Some remarks on the concept of arthakriyā」(Journal of Indian Philosophy, Vol. 7-1, 1979)、桂紹隆「存在とは何か」(『龍谷大学仏教文化研究所紀要』第41号、2002)、久間泰賢の「効果的作用をなすものは勝義的存在か」(『東アジア仏教――その成立と展開』2002)、稲見正浩の「astu yathā tathā」(『インドの文化と論理』2000)と「二種の因果効力 ― sāmānyā śaktiとpratiniyatā śakti ―」(『印度学仏教学研究』Vol. 128, 2013)等があり、仏教論理学における「因果効力」(arthakriyāśakti)の概念は明確になってきた。

2.3.4. 『議論の論理』(Vādanyāya)

Muchの校訂テキスト出版後もながらく等閑視されて来た本書を研究しつつあるのは、佐々木亮である。すでに、「ダルマキールティのnigrahasthāna解釈(1)(2)」(『久遠』第3、4号、2012, 2013)と「Nigrahasthāna in the Vādanyāya」(『印度学仏教学研究』第130号、2013)を発表している。2014年ウィーンで開催された国際仏教学会で発表した”Acceptance and Interpretation of Dharmakiīrti’s Theory of nigrahasthāna in the Nyāya School”は、プロシーディングスで印刷中である。

2.3.5.『正理一滴』(Nyāyabindu)

2.3.5.1. Dharmottara注

本書は、法称の作品中でも最初にStcherbatskyaによって梵蔵テキストと索引、英訳が出版されたため、多くの翻訳・研究が積み重ねられている。

日本を代表するインド哲学研究者であった中村元は、「インド論理学の理解のために I」(『法華文化研究』第7号、1981)で全訳を提示している。なお「インド論理学の理解のためにII -インド論理学・術語集成–邦訳のこころみ」(『法華文化研究』第9号、1983)は、仏教論理学の術語の定義集としても利用することができる。

木村俊彦の前掲書『ダルマキールティ宗教哲学の原典研究』にも全訳が収録されている。さらに、渡辺照宏「正理一滴論法上釋和訳(1)~(4)」(『智山学報』第9~13、1936, 1937)、山崎次彦「ダルマキールティ著・ダルモーッタラ釈;論理学小論第1章試訳」(『論集』第1号、1975)、沖和史「ダルモーッタラ著『正理一滴論註』第一章の和訳研究(1)」(『哲学』第38号、1986)などの部分訳も存在する。さらに、沖は「ダルモーッタラ著『正理一滴論註』(Nyāyabinduṭīkā)第一章における知覚判断」(『仏教と社会』1990)などの論考を著わしている。他に、矢板秀臣や三代舞などの研究論文がある。

なお、Dharmottarapradīpaなどの複注に対して、大内 暎信、沖 和史、矢板秀臣他による研究がある。

2.3.5.2. Vinītadeva 注

渡辺照宏は、「調伏天造・正理一滴論釈和訳」(『インド古典研究』第1巻、1970)を公表している。

2.3.5.3. Kamalaśīla 注

戸崎宏正が、「蓮華戒造Nyāyabindupūrvapakṣesaṃkṣiptaについて」(『印度学仏教学研究』第15号、1960)と「Kamalaśīla作Nyāyabindupūrvapakṣesaṃkṣipta― 現量章 のテキス トと和訳― 」(『神秘思想論集』、1980)を著わしている。また志賀浄邦は「カマラシーラ作Nyāyabindupūrvapakṣesaṃkṣiptaの研究」(『印度学仏教学研究』第97号、2000)を著わしている。

2.3.6.『他相続存在論証』(Santānāntarasiddhi)

北川秀則が、前掲書で英訳を公表している。桂紹隆は、「ダルマキールティ『他相続の存在論証』」(『広島大学文学部紀要』第43号、1983)で和訳を公表している。稲見正浩は「The Problem of Other Minds in the Buddhist Epistemological Tradition」(Journal of Indian Philosophy , Vol. 29, 2001)や「他者は存在するか ―インド仏教後期唯識思想における他心問題―」(『多言語・多文化社会へのまなざし―新しい共生への視点と教育―』2008)という論文を発表している。

 

2.3.7.『関係の考察』(Sambandhaparīkṣā)

金倉円照は、和訳を「法称における結合の観察」(『宗教研究』新12−3、1937)として発表している。清水庸は、後に出版されたPrabhācandraの注とともに「“Dhramakīriti Sambandhaparīkṣā”の和訳解説」(『仏教学研究』第37号、1981)を出版している。その後、矢板秀臣は本書の最後の2偈の梵文を回収している。「TarkarahasyaにおけるSambandhaparīkṣā」(『印度学仏教学研究』第75号、1989)

  1. 2.4. 法称以降の仏教論理学者達

年代論に関しては、船山徹の「8世紀ナーランダー出身注釈家覚え書き――仏教知識論の系譜」(『日本仏教学会年報』第60号、1995)を参照すべきである。

  1. 2.4.1. Dharmottara

『量決択』『正理一滴』に対するDharmottaraの注釈に関する研究については既に述べたので、彼の独立した作品に関する研究を紹介する。

  1. 2.4.1.1. 『刹那滅論証』(Kṣaṇabhaṅgasiddhi)

谷貞志は、「ダルモッタラ「瞬間的消滅論証」解釈の問題(1)~(3)」(『高知工業高等専門学校学術紀要』第41号、1997)で翻訳研究を発表している。近年では、酒井真道が「Dharmottara’s Interpretation of the Causelessness of Destruction」(『印度学仏教学研究』第121号、2010)を、崔 境眞が「ダルモッタラの消滅の無原因性に関する理解」(『印度学仏教学研究』第125号、2011)を発表している。

  1. 2.4.1.2. 『アポーハ論』(Apohaprakaraṇa)

赤松明彦は、「Dharmakīrti以後のapoha論の展開」(『印度学仏教学研究』第55号、1979)を著わした後、「DharmottaraのApoha論再考」(『印度学仏教学研究』第65号、1984)を著わしている。近年では、石田尚敬が「ダルモーッタラによる分別知の考察」(『印度学仏教学研究』第132号、2014)などでDharmottaraのアポーハ論を論じている。片岡啓もまた、「三つのアポーハ説―ダルモッタラに至るモデルの変遷―」(『南アジア古典学』第5号, 2010)や「ダルモッタラの概念論」(『インド論理学研究』第7号, 2014)などでDharottaraのアポーハ論を他学派の批判を踏まえた大きな視点から論じている。「ダルモッタラの概念論」の冒頭に、片岡のアポーハ論研究の歴史が寸描されているのは有用である。(片岡には、少なくとも20本近いアポーハ論に関する論文がある。)さらに、「A Critical Edition of Bhaṭṭa Jayanta’s Nyāyamañjarī: The Section on Kumārila’s Refutation of the Apoha Theory」(『東洋文化研究所紀要』第154号, 2009)の冒頭にはアポーハ論の研究史が纏められている。

  1. 2.4.1.3. その他のDharmottara研究

松本史朗は「On the philosophical positions of Dharmottara and Jitāri」(『印度学仏教学研究』第58号、1981)を、木村誠司は「ダルモッタラにおけるプラマーナの定義」(『駒沢短期大学研究紀要』第25号、1997)を著わしている。木村は、インドからチベットにわたる仏教論理学に関する該博な知識にもとづいて少なくとも30本以上の論考を著わしている。そのすべてを紹介することは出来ないが、「プラマーナの定義」にかんしてだけでも4本の論文がある。さらにsvabhāvaやsvalakṣaṇaに関する緻密な研究がある。

他には、矢板秀臣、林 慶仁、三代 舞、西沢史仁などがDharmottaraに関する論考を発表している。

  1. 2.4.2. Śubhagupta
    1. 2.4.2.1. 『外境存在論証偈』Bāhyārthasiddhikārikā

服部正明は、「Bāhyārthasiddhikārikā of śubhagupta」(『印度学仏教学研究』第15号、1960)で、著者名をŚubhaguptaと同定した。

神子上惠生は、「シュバグプタの習気(vāsanā)理論批判」(『仏教学研究』第38号、1982)、「シュバグプタの唯識説批判」(『南都仏教』第48号、1982)、「シュバグプタの極微説の擁護」(『龍谷大学仏教文化研究所紀要』第22号、1983)、「シュバグプタのBāhyārthasiddhikārikā」((『龍谷大学論集』第429号、1986)、「シュバグプタの唯識説批判—認識対象(ālambana)をめぐって」(『仏教学研究』第43号,1987)、「Śubhagupta’s criticism of the Vāsanā Theory」(『龍谷大学論集』第434/435号、1989)、「シュバグプタのコミュニケーション論」(『原始仏教と大乗仏教』1993)等一連の論考を公表している。

御牧克巳は、「シュブハグプタの『外界成就偈』第59-60偈」(『インド哲学と仏教』1989)を発表している。

2.4.2.2. その他のテキスト

宮坂宥勝は、Śrutiparīkṣākārikāの和訳を「シュバグプタのことば論」(『智山学報』第7号、1959)として発表している。

渡辺重朗は、「仏教論理学派の破神論」(『仏の研究』1977)でĪśvarabhaṅgakārikāの蔵文テキストと和訳、「Śubhagupta’s Sarvajñasiddhikārikā」(『成田山仏教研究所紀要』第10号、1987)で蔵文テキストと和訳を公表している。

神子上惠生は、「シュバグプタのAnyāpohavicārakārikāのサンスクリット断片について」(『仏教学研究』第34号、1978)を発表している。

他に、広瀬 智一、一郷正道などがŚubhaguptaを論じている。

  1. 2.4.3. Śāntarakṣita & Kamalaśīla: 『摂真実論』Tattvasaṃgraha+Pañjikā

本来は中観派に属する師弟二人が、仏教内外の様々な哲学説を批判的に論じた浩瀚な論書であり、数多くの翻訳・研究が公表されている。以下、『梵語仏典の研究 III 論書篇』に紹介されているものは、研究者の名前のみ挙げ、比較的最近の重要な研究を付加する。

序論 渡辺照宏が部分訳を発表している。

一郷正道が「造論の意趣に関するシャーンタラクシタ、カマラシーラの見解をめぐって」(『密教思想』1977)で渡辺の解釋を批判している。

第1章 (Prakṛtiparīkṣā) 今西順吉、本多恵、中田直道の翻訳がある。

第2章 (Īśvaraparīkṣā) 渡辺重朗の翻訳と木村俊彦の研究がある。

第3章 (Ubhayaparīkṣā) 本多惠の翻訳がある。

第4章 (Svābhāvikajagadvādaparīkṣā)

第5章 (Śabdabrahamparīkṣā) 中村元の翻訳がある。

第6章 (Puruṣaparīkṣā) 中村元の翻訳がある。

第7章 (Ātmaparīkṣā) 服部正明の「真理綱要における我論批判」(『自我と無我』1976)がある。

(1)Naiyāyika-Vaiśeṣika 龍山章真、内藤昭文の翻訳があり、田丸俊明の研究がある。

(2) Mīmāṃsaka 金岡秀友の翻訳と服部正明の翻訳・研究がある。内藤昭文の翻訳がある。

(3) Kāpila 服部、本多、内藤の翻訳がある。

(4) Digambara 田丸の翻訳がある。

(5) Aupaniṣatka 中村元の翻訳がある。

(6) Vātsīputrīya 長澤実導と内藤の翻訳がある。

第8章 (Sthirabhāvaparīkṣā) 御牧克巳の研究「恒常性批判Sthirasiddhidūṣaṇa」(『印度学仏教学研究』第40号、1972)がある。

第9章 (Karmaphalasambandhaparīkṣā) 清水公庸の翻訳がある。

第10章 (Dravyapadārthaparīkṣā) 菱田邦男の翻訳がある。

第11章 (Guṇapadārthaparīkṣā) 菱田邦男の翻訳がある。

第12章 (Karmapadārthaparīkṣā) 桑月心の翻訳がある。

第13章 (Sāmānyapadārthaparīkṣā) 野武 美弥子「普遍(samanya)の知覚をめぐる議論 Tattvasamgraha, vv.721-731」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第43巻、1998)がある。

第14章 (Viśeṣapadārthaparīkṣā) 菱田邦男の研究がある。

第15章 (Samavāyapadārthaparīkṣā) 清水公庸の「Tattva-Saṅgraha-Pañjikā「内属の考察」試訳」(『仏教学研究』第44/45号、1993)がある。

第16章 (Śabdārthaparīkṣā) 伊原照蓮と太田心海の研究と小林信彦の翻訳・研究がある。

服部正明の「Tattvasaṃgraha XVIに見られるVākyapadīya IIからの引用詩節」(『知の知の邂逅』 1993)がある。

藤井真聖の「Tattvasaṃgrahapañjikāにみられるアポーハ論者の見解」(『印度学仏教学研究』第97号、2000)を始めとする一連の論考があり、2015年仏教大学へ提出された博士論文「Tattvasaṃgraha(pañjikā), śabdārthaparīkṣāの研究」には全訳が提示されている。

岡田憲尚の「Tattvasaṃgraha śabdārthaparīkṣā章の研究(1)(2)」(『宗教学比較思想学論集』第6,7号、2003, 2005)、「Tattvasaṃgraha, Śabdārthaparīkṣā章に於けるavasāya, adhyavasāyaの用法について」(『印度学仏教学研究』第106号、2005)がある。

第17章 (Pratyakṣalakṣaṇaparīkṣā) 服部の研究がある。

船山徹が「A Study of kalpanāpoḍha: A Translation of the Tattvasaṃgraha vv. 1212-1263 by Śāntarakịsta and the Tattvasaṃgrahapañjikā by Kamalaśīla on the Definition of Direct Perception」(Zinbun 27, 1992)で前半部の翻訳を発表している。また、「Kamalaśīla’s Interpretation of ‘Non-Erroneous’ in the Definition of Direct Perception and Related Problems」(Dharmakīrti’s Thought and Its Impact on Indian and Tibetan Philosophy、1999)、「カマラシーラの直接知覚論における「意による認識」(mānasa)」(『哲学研究』569号、2000)、「Kamalaśīla’s View on Yogic Perception and the Bodhisattva Path」(Religion and Logic in Buddhist Philosophical Analysis, Wien 2011)などを発表している。『哲学研究』の論文は、仏教認識論における直接知覚の分類の三重性を指摘した重要な論文である。

石橋栄「Tattvasaṁgraha-pañjikā,pratyakṣa-parīkṣā kk.1311-1328《第二規定辞「迷乱がない」の検討》試訳」(『龍谷大学仏教学研究室年報』第6号、1993)他がある。

第18章 (Aumānaparīkṣā) 志賀浄邦が、「Tattvasamgraha及びTattvasamgrahapanjika 第18章「推理の考察(Anumanapariksa)」和訳と訳注(1)〜(3)」(『インド学チベット学研究』第11-13号、2007~2009)で全訳を発表している。

第19章 (Pramāṇāntaraparīkṣā) 島義徳の翻訳・研究がある。

矢板秀臣の「『摂真実論(釈)』「語知考究(śābdavicāra)」章の研究」(『成田山仏教研究所紀要』第24号、2001)「『摂真実論 (釈)』「比類考究」(upamānavicāra) 章の研究 (Ⅰ)(II)」『成田山仏教研究所紀要』第28-29号、2005-2006)に部分訳がある。

第20章 (Syādvādaparīkṣā) 若原雄昭の「仏教徒のジャイナ教批判(1)」(『龍谷大学論集』第447号、1995)と「同(2)」(『インド学チベット学研究』第1号、1996)に翻訳研究がある。

第21章 (Traikālyaparīkṣā) 菅沼晃と佐々木現順の翻訳がある。

志賀 浄邦が、「TattvasamgrahaおよびTattvasamgrahapanjika 第21章「三時の考察(Traikālyaparīkṣā)」校訂テキストと和訳(kk. 1785–1808)」(『インド学チベット学研究』第19号、2015)で翻訳している。

第22章 (Lokāyataparīkṣā) 宮坂の部分訳がある。

生井衛(智紹)は「後期仏教徒によるBārhaspatya批判 [I]」(『インド学報』第2号、1976)、「TSにおける前世の論証」(『印度学仏教学研究』第50号、1977)を始めとする一連の論考でLokāyata派に対する仏教徒の批判を研究し、広島大学へ提出した博士論文を『輪廻の論証―仏教論理学派による唯物論批判』(東方出版、1996)として出版している。

第23章 (Bahirarthaparīkṣā) 太田心海と菅沼の部分訳がある。(削除あり)

栗原尚道の「Tattvasaṃgraha, Bahirarthaparīkṣāにあらわれる形象虚偽論について」(『印度学仏教学研究』第84号、1994)などの研究がある。

神子上恵生は、「唯識学派による外界対象の考察(1)~(3)」(『インド学チベット学研究』第1、第2号、『龍谷大学論集』第449号、1996-1997)で翻訳研究を発表している。

松岡寛子は、「Śāntarakṣita’s Interpretation of the sahopalambhaniyama Proof Re-examined」(『印度学仏教学研究』第124号、2011)、「On the Buddha’s Cognition of Other Minds in the Bahirarthaparīkṣā of Tattvasaṃgraha」(Journal of Indian Philosophy, Vol. 42-2, 2014)など一連の論考を著わしている。

第24章 (Śrutiparīkṣā)

第25章 (Svataḥprāmāṇyaparīkṣā)

第26章 (Atīndriyaparīkṣā) 川崎信定の部分的研究と渡辺重朗の部分訳がある。

船山徹の「Kamalaśīla’s distinction between the two sub-schools of Yogācāra. A provisional survey」(Pramāṇakīrti, 2007)は、瑜伽行派の有相派と無相派の区別が従来の後期瑜伽行派の区別と異なることを指摘している極めて重要な論考である。

生井智紹は、「Tattvasaṃgraha XXVI 3427-3429について」(『インド哲学仏教思想論集』2004)を発表している。

なお、渡辺重朗が「Glossary of the Tattvasaṃgrahapañjikā – Tibetan-Sanskrit-Japanese Part I -」(Acta Indologica V, 1985)を公刊している。

  1. 2.4.4. Paṇḍita Aśoka

梶山雄一は、「The Avayavinirākaraṇa of Paṇḍita Aśoka」(『印度学仏教学研究』第17号、1961)を著わしている。

船山徹は、「部分と全体――インド仏教知識論における概要と後期の問題点」(『東方学報』62号、1990)でAvayavinirākaraṇaを扱っている。

  1. 2.4.5. Jitāri

ジターリの論理学関係の著作の研究を精力的に押し進めたのは白崎顕成である。彼は、「Jitāriのanekāntavāda批判」(『印度学仏教学研究』第44号、1974)を嚆矢として、少なくとも14本の論文を著わしている。「Jitāri —人と思想—」(『僧伝の研究』1981)では、ジターリの全体像を扱っている。「Jitāriの『普遍実在論批判』」(『仏教史学研究』26-1, 1983)でJātinirākṛtiの校訂テキストと和訳を発表している。Bālāvatāratarkaの蔵訳テキストの校訂を「The Bālāvatāratarka」(『神戸女子大学紀要 文学部篇』第15号、1983)として発表している。白崎には、Sugatamatavibhaṅgabhāṣyaなどジターリの他の著作の翻訳研究も多数出版している。

宮坂宥勝は、Hetutattvopadeśaの蔵訳からの和訳を「ヘーツ・タットヴァ・ウパデーシャ」(『密教文化』第29/30号、1955)と同書の梵蔵索引を『密教文化』(第68号、1964)に発表している。

田丸俊昭は、「JitāriのAnekātnavādanirāsa」(『仏教学研究』第34号、1978)で翻訳し、若原雄昭は、Sarvajñasiddhiを「アーガマの価値と全知者の存在証明」『仏教学研究』第41号、1985)の中で翻訳している。

久間泰賢は、「Jitāriに帰せられるDharmadharmiviniścayaについて」(『印度学仏教学研究』第102号、2003)を著わしている。

  1. 2.4.6. Jñānaśrīmitra

梶山雄一の「Trikapañcakacintā」(前出)は、Kāryakāraṇabhāvasiddhiの英訳を含む。

  1. 2.4.6.1. Sākārasiddhiśāstra

筧無関は、「有形象知論における増益と損減の意義」(『印度学仏教学研究』第19−1号、1970)、「Jñānaśrīmitra’s“SĀKĀRASIDDHIŚĀSTRA”第六章」(『北海道駒沢大学研究紀要』第5号、1970)、「ジュニャーナシュリーミトラによる有形象唯識学派の系譜」(『北海道駒沢大学研究紀要』第16号、1981)によって先駆的な研究を行った。

新井一光は、「ジュニャーナシュリーミトラの中観派批判」(『曹洞宗研究員研究紀要』第34号、2004)、「『有形象証明論』Sākārasiddhiśāstra 「自己認識章」和訳研究(1)〜(3)」(『インド論理学研究』第2〜4号、2011~2012)などを発表した後、『ジュニャーナシュリ−ミトラ研究』(山喜房佛書林、2016)を公刊している。

瑜伽行唯識学派における有相派と無相派の対論については、梶山雄一の「controversy between the sākāra- and nirākāra-vādins of the yogācāra school some materials」(『印度学仏教学研究』第27号、1965)に始まり、沖和史「ラトナーカラシャーンティの有形象説批判」(『印度学仏教学研究』第50号、1977)、「無相唯識と有相唯識」(『講座・大乗仏教 8』1982)、岩田孝「ein Aspekt des Sākāravijñānavāda bei Prajñākaragupta(PVBh)」(『印度学仏教学研究』第61号、1982)、「Prajñākaragupta(PVBh)に於ける有形相知識説に関する一考察」(Saṃbhāṣā 第5号、1983)、「法称の「Saṁvedanaによる有形相説論証」とその展開」(『仏教思想の諸問題』1985)などがある。

  1. 2.4.6.2. Apohaprakaraṇa

小川英世は、「ジュニャーナシュリーミトラの概念論」(『哲学』第33号、1981)、「Jñānaśrīmitraのapoha論」(『印度学仏教学研究』第58号、1981)を発表している。

赤松明彦は、パリ第三大学へ博士論文「Évolution de la théorie de l’Apoha (L’Apohaprakaraṇa de Jñānaśrīmitra)」(1983)を提出し、「Vidhivādin et Pratiṣedhavādin: Double aspect présenté par la théorie sémantique du bouddhisme indien」(Zinbun,21, 1987)を出版している。

桂紹隆は、「Jñānaśrīmitra on Apoha」(Buddhist Logic and Epistemology, 1986)、「ジュニャーナシュリーミトラのアポーハ論」(『仏教学セミナー』第48号、1988)を発表している。

  1. 2.4.6.3. Kṣaṇabhaṅgādhyāya

谷貞志は、「ジュニャーナ・シュリーミトラ「瞬間的消滅(刹那滅)kṣaṇabhaṅgaの章」試訳 [1]~[4]」(『高知工業高等専門学校学術紀要』第32~36号、1990~92)、「’Logic and Time-ness in Dharmakïrti’s Philosophy — Hypothetical Negative Reasoning (prasaṅga) and Momentary Existence (kṣaṇikatva)’」(Studies in the Buddhist Epistemological Tradition, Wien 1991)を始めとする多くの翻訳研究・論考を著わしている。谷のDharmottaraの刹那滅論証の研究は既に述べた。世親に始まり、法称によって確立され、彼の後継者たちによって大きく展開された刹那滅論証の歴史は、谷の主著『刹那滅の研究』(春秋社、2000)に見事に纏められている。法称の後継者の間に二つの流れがあったことを具体的に証明したのが谷の最大の功績である。谷は『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』(春秋社、1996)という一般書も書いている。

久間泰賢は、「Jñānaśrīmitraにおけるarthakriyā」(『仏教文化』第33号、1995)、「経量部説と唯識学説との関連づけ—Jñānaśrīmitraの場合—」(『仏教学』第38号、1996)などを発表した後、ウィーン大学へ提出した博士論文をSein und Wirklichkeit in der Augenblicklichkeitslehre Jñānaśrīmitras : Kṣaṇabhaṅgādhyāya I, Pakṣadharmatādhikāra : Sanskrittext und Übersetzung (Wien, 2005)として出版している。ジュニャーナシュリ−ミトラの記述にもとづいて、「二諦論」に複数の階層があることを指摘したのは、久間の貢献である。

2.4.6.4. Īśvaravāda

狩野恭 「Two Types of Vikalpa asserted by jñānaśrīmitra」(『印度学仏教学研究』第78号、1991)、「ジュニャーナシュリーミトラの『主宰神論』」(『南都仏教』第71, 74/75号、1995, 1997)などを発表している。

  1. 2.4.7. Ratnakīrti
    1. 2.4.7.1. Apohasiddhi

梶山雄一は、「ラトナキールチのアポーハ論」(『印度学仏教学研究』第15号、1960)を発表している。

神子上恵生は、「ラトナキールティのアポーハ説」(『印度学仏教学研究』第86号、1994)を発表している。

  1. 2.4.7.2. Kṣaṇabhaṅgasiddhi

梶山雄一は、「ラトナキ−ルチの帰謬論証と内遍充論の生成」(『仏教史学論集』1961)を発表している。

白石竜彦は、「Ratnakīrti著『刹那滅論』「否定的遍充篇」研究(1)」(『印度学仏教学研究』第102号、2003)を発表している。

  1. 2.4.7.3. Sthirasiddhidūṣaṇa

御牧克巳は、「恒常性批判Sthirasiddhidūṣaṇa」(『印度学仏教学研究』第40号、1972)、「vināśitvānumānaとsthirasiddhidūṣaṇa」(『印度学仏教学研究』第42号、1973)、 La Réfutation Bouddhique de la Permanence des choses (Sthirasiddhidūṣaṇa) et la Preuve de la Momentanéité des Choses (Kṣaṇabhaṅgasiddhi, Paris 1976)を発表している。

  1. 2.4.7.4. Citrādvaitaprakāśavāda

北原祐全は、「ラトナキールティのCitrādvaitaprakāśavāda梗概」(『印度学仏教学研究』第87号、1995)を発表している。

護山真也は、「ラトナキールティ著『多様不二照明論』和訳研究(上)(下)」(『南アジア古典学』第6, 7号、2011, 2012)を発表している。護山は、さらに「形象虚偽論と多様不二論(上)(下)」(『信州大学人文学部 人文科学論集<人間情報学科編>』第45,46号、2011, 2012)、「ラトナキールティの存在論 : パティルが提起した対象の四分類に対する批判的検討」(『信州大学人文学部 人文科学論集<人間情報学科編>』第47号、2013)を発表している。

  1. 2.4.7.5. Santānāntaradūṣaṇa

梶山雄一は、「Buddhist Solipsism」(『印度学仏教学研究』第25号, 1965)で英訳している。

  1. 2.4.7.6. Vyāptinirṇaya

梶山雄一は、「ラトナキールチの遍充論」(『中野教授古稀記念論文集』1960)を発表している。

2.4.7.7. Īśvarasādhanadūṣaṇa

護山真也は、「ラトナキールティ著『主宰神証明の論駁』和訳研究(上)(中)」(『南アジア古典学』第9, 10号、2014, 2015)を発表している。

  1. 2.4.8. Ratnākaraśānti, 『内遍充論』Antarvyāptisamarthana

梶山雄一は、「ラトナーカラシャーンティの論理学書」(『仏教史学』第8-4号、1960)を著わし、「ラトナーカラシャーンティ『内遍充論』」(『仏教大学大学院研究紀要』第17号、1989)で和訳を発表した後、梵蔵テキストの校訂と英訳を「The Antarvyāptisamarthana of Ratnākaraśānti」(Bibliotheca Philologica et Philosophica buddhica II, 1999)として出版している。

内遍充論と外遍充論については、多くの論文が書かれている。たとえば、谷貞志が、「思想的クロノロジーの逆転:ラトナーカラシャーンティ→ジュニャーナシュリーミトラ」(『高知工業高等専門学校学術紀要』第40号、1996)、小野基が「仏教論理学派における「内遍充」と「外遍充」」(『インド哲学仏教思想論集』2004)、狩野恭が「Dichotomy, antarvyāpti, and dṛṣṭānta」(Religion and Logic in Buddhist Philosophical Analysis, Wien 2011)、志賀浄邦が「antarvyāpti and bahirvyāpti re-examined」(Religion and Logic in Buddhist Philosophical Analysis, Wien 2011)を発表している。

護山真也は、ラトナーカラシャーンティの唯識綱要書を用いて、「ラトナーカラシャーンティのプラマーナ論」(『印度学仏教学研究』第125号、2011)を発表している。なお、ジュニャーナシュリ−ミトラのSākārasiddhiの批判対象であり、無相唯識の綱要書である、ラトナーカラシャーンティの『般若波羅蜜多論』(Prajñāpāramitopadeśa)の研究は急速に進展しているが、ここでは触れない。

  1. 2.4.9. Mokṣākaragupta, 『論理の言葉』Tarkabhāṣā

梶山雄一が詳細な注を伴う英訳「An Introduction to Buddhist Philosophy, An annotated translation of the Tarkabhāṣā of Mokṣākaragupta」(『京都大学文学部研究紀要』第10号、1966)と和訳「認識と論理(タルカバーシャー)」(『世界の名著2 大乗仏典』1968、中公文庫『論理のことば』1975)を発表している。
星野雅徳が、「量論の為の覚書 : Tarkabhasaと梶山雄一訳『論理のことば』を手掛りに」(『駒沢大学大学院仏教学研究会年報』第46号、2013)と「モークシャーカラグプタの現量説 : 〈自覚知章〉の和訳と考察を中心に」(『駒沢大学仏教学部論集』第45号、2014)を著わしている。

2.4.10 Vidyākaraśānti 『論理の階梯』(Tarkasopāna)

原田高明が、「Tarkasopānaについて」(『印度学仏教学研究』第70号、1990)を発表している。

2.4.11.『論理の秘密』Tarkarahasya

矢板秀臣の「Tarkarahasya研究(I)~(IX)」(『成田山仏教研究所紀要』第12〜19号、1989~1996)は、後に『仏教知識論の原典解明』(成田山新勝寺、2005)に彼の他の多くの論考とともに収められている。

〔付言:インド仏教論理学書に関する研究は、第二次大戦後もっとも盛んに行われた分野のひとつであり、網羅的なリストを作成するのは容易ではない。また、多くの重要な研究に言及出来なかったと思うが、お許しを請いたい。〕

  1. 3. 西蔵因明学の研究

西蔵仏教の研究もまた、第二次大戦後の日本の仏教学界で大きく展開した分野である。その中でも西蔵仏教論理学の研究に大きく貢献したのは、白館戒雲(ツルティム・ケサン)である。彼は多くの日本人研究者を指導し、育てただけでなく、膨大な量の論文・著作を日蔵両語で著わしている。その代表的な著述は、『チベット仏教論理学・認識論研究I ダルマキールティ著『量評釈』第2章「量の成立」とタルマリンチェン著『同釈論・解脱道作明』第2章の和訳研究』(人間文化研究機構・総合地球環境学研究所、2010)、『同II ダルマキールティ著『量評釈』第3章「現量」とタルマリンチェン著『同釈論・解脱道作明』第3章の和訳研究』(2011)、『同III ダルマキールティ著『量評釈』第1章「自己のための比量」とタルマリンチェン著『同釈論・解脱道作明』第1章の和訳研究』(2011)、『同IV ダルマキールティ著『量評釈』第4章「他者のための比量」とタルマリンチェン著『同釈論・解脱道作明』第4章の和訳研究』(2012)であり、その一部は『成田山仏教研究所紀要』や『真宗総合研究所紀要』に先に公表されている。白館は、「ロンドルラマ著『量評釈など因明所出の名目』」(『大谷大學研究年報』第56号、2004)で仏教論理学用語集の翻訳をしている。また、A History of Logical Studies in Tibet (名古屋大学、1986)、「チベットにおける仏教論理学の系譜」(『大谷学報』第69号、1990)でチベット仏教論理学の歴史を素描している。

白館の弟子の一人、小野田俊蔵は、西蔵の僧院における問答(Bsdus Grwa)の研究を行った。「bsDus-grwaの学習について」(『印度学仏教学研究』第53号, 1978)、「チベットの僧院に於ける問答の類型」(『仏教史学研究』22−1, 1979)、「問答(rtsod-pa)における “khyod” の機能について」(『日本西蔵学会々報』25, 1979)、「lan ‘debs tshul(答弁法)の変遷」(『印度学仏教学研究』第69号, 1986)、「ドゥラ(bsDus grwa)書の系譜」(『印度学仏教学研究』第74号, 1989)などを発表したのち、ウィーン大学からMONASTIC DEBATE IN TIBET,A Study on the History and Structures of bsDus grwa Logic, 1992)を出版し、Essays on Tibetan Literature (New York, 1995)に”Bsdus Grwa Literature”を寄稿している。一方、THE YONS ‘DZIN RTAGS RIGS, A Manual for Tibetan Logic — edition with Introduction, (名古屋大学、1981)を出版し、「『ldog-pa』について」(『印度学仏教学研究』第56号, 1980)を始めとする西蔵論理学特有の術語(ldog chos, spyi と bye brag, ‘brel-ba と ‘gal-ba , rjes ‘gro ldog khyab, mtshan nid と mtshon bya など)の研究を少なくとも10本発表している。

法称研究者として既にその業績を紹介した福田洋一は、西蔵論理学研究の第一人者でもあり、『リクテル』の翻訳研究、『チベット論理学研究』:サキャ・パンディタ著『正しい認識手段についての論理の宝庫』テキスト・和訳・注解』(東洋文庫、1989)第1巻~第6巻を出版している。さらに、「サキャ・パンディタの論理学上の立場」(『日本西蔵学会会報』第35号、1989)、「サパンのアポーハ論」(『日本西蔵学会会報』第37号、1991)、「ゲルク派論理學の實在論的解釋について」(『東洋の思想と宗教』第17 号、2000)、「初期チベット論理学におけるmtshan mtshon gzhi gsumをめぐる議論について」(『日本西蔵学会会報』第49号、2003)、「チベット論理学におけるldog paの意味と機能」(『仏教学セミナー』第80号、2004)、「自相のアポーハ・観念のアポーハ・普遍・特殊・矛盾・結合:チベット論理学における概念操作の方法」(『インド論理学研究』I, 2010)など多くの論考を発表している。

既に何度も紹介した木村誠司は、西蔵論理学の分野でも多くのすぐれた研究を発表している。「チベット仏教における論理学の位置付け」(『チベットの仏教と社会』1986)、「チベットの論理学書における「解脱と一切智者」の証明について」(『日本西蔵学会会報』第33号、1987)、「ダルマキールティの思想的立場—チベット仏教における解釋」(『駒澤大学仏教学部研究紀要』第46号、1988)、「論理学に関するツォンカパの見解」(『仏教学』第29号、1996)、「チベット仏教におけるプラマーナの定義」(『駒澤短期大学仏教論集』第2号、1996)、「サパンとウユクパの論理学説」(『駒沢短期大学研究紀要』第24号、1996)、「チベット仏教における定義」(『駒澤短期大学仏教論集』第4号、1998)、「量の備忘録に関するメモ」(『駒澤大学仏教学部研究紀要』第68号、2010)など実に多くの論文を公表しており、そのいずれも極めてインフォーマティブである。

西沢史仁は、長年にわたるインドのチベット僧院における学習を終えて帰国し、『チベット仏教論理学の形成と展開 : 認識手段論』(2011)という博士論文を東京大学へ提出し、精力的に西蔵仏教論理学に関する研究を発表している。例えば、「サキャパンディタの認識手段論」(『東洋文化研究所紀要』第152冊、2007)、「ゲルク派の認識手段論」(『インド哲学仏教学研究』第16号、2009)、「チャパ・チューキセンゲの認識手段論」(『日本西蔵学会々報』第56号、2010)、「チベット仏教論理学における<理解(rtogs pa)>の概念について」(『インド論理学研究』第4号、2012)、「チベットにおける他者排除(anyāpoha)論の形成と展開―11-12世紀サンプ系論理学の伝承を中心として」(『インド論理学研究』第7号、2014)などである。

法称研究者でもある西川高史は、「チベット仏教における認識の定義」『倉敷芸術科学大学紀要』第6号、2001)、「認識対象について(donとyul)–チベット論理学における対象についての理解」(『倉敷芸術科学大学紀要』第16号、2011)などを発表している。

『ゲルク派における時間論の研究』(平楽寺書店、2011)を出版した根本裕史は、「チベット論理学における遍充概念の発展」(『日本西蔵学会会報』第57号、2011)を発表している。

  1. 4. 中国・日本で展開した因明学の研究

第二次大戦以前では、佐伯 良謙が「因明作法の変遷並に其の著述」を『仏教学雑誌』(第2〜3号、1921~22)に連載している。佐伯の業績は、没後に 『因明作法変遷と著述』(法隆寺、1969年)として出版されている。林 彦明は、「民国仏教学者の因明学」(『日華仏教研究会年報』第2号、1937)を発表している。

第二次大戦後、日本において因明研究を継続して行ったのは、武邑尚邦であった。「因明における三支作法とその意味」(『仏教学研究』第21号、1964)、「文軌の因明学説–敦煌本残簡の紹介に付して」(『龍谷大学論集』第389号、1969)、「敦煌残簡『因明入正理論疏』について」(『印度学仏教学研究』第35号、1969)、「日本における因明研究 : 特に宝観の研究をめぐって」(『龍谷大学論集』第394、1970)、「敦煌写本「浄眼の因明書」について」(『印度学仏教学研究』第41号、1972)、「浄眼撰『因明入正理論後疏』」(『龍谷大学論集』第418号、1981)、「楠宝観の因明研究」(『僧伝の研究』1981)など多くの論文を発表しているが、その集大成は『因明学―起源と変遷』(法藏館、1986)である。

根無 一力は、「慈恩撰『因明大疏』について」(『印度学仏教学研究』第59号、1981)、「因明四種相違の研究(1)(2)」(『龍谷大学大学院紀要』第6-7号、1985-86)、「源信の「因明論疏四相違略註訳」について」(『天台学報』第28号、1985)などを発表している。

原田高明は、「『因明三十三過本作法』における「義心云」について」(『印度学仏教学研究』第79号、1991)と「『因明論三十三過』について」(『印度学仏教学研究』第81号、1992)を発表している。

蜷川祥美は、「蔵俊の因明思想について」(『印度学仏教学研究』第97号, 2000)、「『唯識比量鈔』 の研究(1) (2)」(『仏教学研究』第51, 56号、1995, 2002)などを発表している。

後藤康夫は、「貞慶の「因明四種相違」解釈 : 『四相違短冊』「法自相相違因」翻刻読解研究」(『南都仏教』第95号、2010)、「貞慶の因明解釈 : 東大寺図書館蔵『法自相短釈』」(『南都仏教』第98号、2013)、「貞慶の「因明四種相違」解釈(2)『四相違短冊』翻刻研究 : 「法差別相違因」(1) (2)」(『岐阜聖徳学園大学仏教文化研究所紀要』第14-15号、2014-15)、「唐代における『因明入正理論』についての一論争 : 中国・日本での理解(上)」(『岐阜聖徳学園大学仏教文化研究所紀要』第16号、2016)など精力的に論文を発表している。

小野嶋祥雄は、「唯識学派から見た法宝の因明理解」(『仏教学研究』第71号、2015)を発表している。

吉田慈順は、「初期日本天台における因明研究について : 『愍諭弁惑章』の検討を通して」(『仏教学研究』第71号、2015)、「中国諸師の因明理解」(『印度学仏教学研究』第140号、2016)などを発表している。

いま日本の因明研究を先導しているのは、師茂樹である。中国唯識の研究者でもある師は、玄奘の「唯識比量」の研究により、大著『論理と歴史』(ナカニシヤ出版、2015)を公刊しているが、それと並行して、「雲英晃耀の因明学」(『印度学仏教学研究』第136号、2015)や「聖語蔵所収の沙門宗『因明正理門論注』について」(『東アジア仏教研究』第13号、2015)などを発表している。後者は、非常に貴重な『正理門論』に対する新発見の注釈である。師は、また、「東アジア因明文献データベースの構想とプロトタイプ作成」(『じんもんこん2008論文集』2008)を発表して、早くから、因明文献のデータベース作成の重要性を訴えている。

  1. 5. 因明の比較論理学的研究

仏教論理学を比較思想的視点から検討したのは、夙に『東洋人の思惟方法 インド人・シナ人の思惟方法』(みすず書房、1948)と『同 日本人・チベット人の思惟方法』(みすず書房、1949)を刊行した中村元であった。「空観の記号論理学的解明」(『印度学仏教学研究』第5号、1954)、Buddhist logic expounded by means of symbolic logic」(『印度学仏教学研究』第13号、1958)、「排中律に関するインド論理家の見解」(『印度学仏教学研究』第60号、1982)、「インド論理学における帰納法の意義」(『印度学仏教学研究』第61号、1982)などを次々と発表した。中村は、『比較思想論』(岩波書店、1960)を発表し、1974年には「比較思想学会」を設立している。さらに、『普遍思想』(春秋社、1975)を発表し、晩年10年間にわたって『現代思想』(青土社)に連載した「論理の構造」では、東西の論理学を比較した上で、「普遍的な論理学」の確立を模索している。それは、没後に未完の『論理の構造』全2巻(青土社、2000)として公刊されている。

ウィットゲンシュタインの研究者としても知られる末木剛博は、仏教論理学に正面から取り組んだ数少ない日本哲学者の一人である。「因明九句因の記号論理学的解明」(『印度学仏教学研究』第9号、1957)や「因明における誤謬論」(『仏教の比較思想論的研究』1979)を発表し、『東洋の合理思想』(講談社現代新書、1970)を公刊している。

第二次大戦後、日本に分析哲学を紹介した年代の代表的な哲学者である大森荘蔵は、「刹那仮説とアキレス及び観測問題–そして時間は流れない」(『現代思想』19(6), 1991)で、彼の時間論の立場から、仏教論理学の刹那滅論に好意的な論評を加えている。

ニヤーヤ学派の論理学の研究者である泰本融は、「カターヴァットゥにおける名辞論理学」(『印度学仏教学研究』第16号、1960)や「比較論理学序説」(『講座仏教思想』第2巻、1974)を著わしている。

広澤隆之は、比較思想的視点から、「陳那の認識論」(『智山学報』第39号、1976)や「仏教術語の概念について」(『現代密教』第16号、2003)を発表している。

数理論理学の方法論を用いて、比較論理学的研究を進めて来たのが、上田昇である。「ディグナーガ論理学の論理学的評価 : アリストレテスとの対比」(『比較思想研究』第15号、1988)、アポーハ論の一断面–同音異義(『印度学仏教学研究』第73号, 1988)、「ディグナーガにおける”内包”と”外延”」(『インド哲学仏教学研究』第1号, 1993))、「Viparyaya考–仏教論理学における帰謬論証」(『東方学』第90号、1995)、「A Minimal Model of viruddhāvyabhicārin」(『印度学仏教学研究』第115号, 2008)、「アポーハ論的「排除」について : 語の意味(artha)のモデル」(『印度学仏教学研究』第131号, 2013)、「論議領域とアポーハ代数 ─否定名辞の外延的意味─」(『目白大学人文学研究』第11号、2015)、「アポーハ論と名辞 : 否定名辞・複合語」(『印度学仏教学研究』第138号, 2016)など多くの論文を発表している。その一部は、『ディグナーガ、論理学とアポーハ論 : 比較論理学的研究』(山喜房佛書林, 2001)として公刊されている。

現代論理学の方法論による仏教認識論・論理学の解明は、谷貞志「「瞬間的存在性」論証Kṣaṇikatva-anumānaとその 「論理空間」の問題」(『印度学仏教学研究』第40号、1972)や岩田孝「pratyakṣaの場の構造による解明〔1〕~〔3〕」(『フィロソフィア』第61号、1973;『印度学仏教学研究』第44, 46号, 1973, 1974)によっても行われた。谷は、「「刹那滅論証」と「直観主義論理」」(『印度学仏教学研究』第103号、2003)も発表している。

石飛道子は「現代論理学から見たvyāptiの概念」(『インド哲学と仏教』1989)、岡崎康浩は「因の三相説の非古典的モデル–ディグナーガとウッドヨータカラの論理学を中心に」(『比較論理学研究』第6号、2008)を発表している。

石飛は、インド論理学を「演繹論理」として解釈するが、夙に北川秀則は、「a note on the methodology in the study of Indian logic」(『印度学仏教学研究』第15号、1960)でインド論理学とアリストテレスの論理学の違いを指摘している。桂紹隆は、『インド人の論理学』(中公新書、1998)でインド論理学の帰納法的性格を強調している。それらを受けて、谷沢淳三は、「論証の学としてのインド論理学 : 帰納法と演繹法」(『人文科学論集』第41号、2007)で石飛の解釋を批判している。なお、桂はインドの論証法をToulminモデルと対比して解釈することを勧めている。インド文法学の研究者である谷沢は、比較思想的方法論を実践した数少ないインド哲学研究者であり、「アポーハ論は何を説いているのか」(『人文科学論集』第32号、1998)などを公表している。

(終わり)

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